少年マンガでつづる日本の50年史 「サンデー・マガジンのDNA」展 感想レビュー| 京都で遊ぼうART
エントランスでは、両誌50年分の人気作品のキャラクターたちがお出迎え!
まるで夢の世界への入り口のよう。
今回は研究員の表(おもて)さんに、 ご説明いただきました。
10月9日(金)に、京都国際マンガミュージアムで開催の『サンデー・マガジンのDNA』展にお邪魔してきました。 この展覧会は、「少年サンデー」と「少年マガジン」、日本を代表する2つの週刊少年マンガ雑誌の、50周年を記念して開催されているものです。
実はこの2つ、創刊日はどちらも1959年3月17日、当時の編集者の人数まで同じだったということ、ご存知でしょうか?まさに「同じ日に生まれた宿命のライバル同士」。 以来、実に半世紀もの間、互いに負けじとしのぎを削りあい、次々に作品を世に送り出してきたのです。その両者が今回、お互いの誕生を称えあうように手を取り合って企画したのがこの展覧会。そう聞いただけでもなんだか物凄そうな気がします。
この展覧会は、神奈川県・川崎市の川崎市市民ミュージアムほか、全国4ヶ所で開催される巡回展です。川崎・京都共に、開催施設の特性を活かした独自の展示が行われています。 川崎市市民ミュージアムは、その会場の広さ、映像ホールがあることから、過去の劇場作品などの上映が行われていました。それに対して、京都国際マンガミュージアムの特徴は、数多くのマンガ本・雑誌を研究資料として収集しているところにあります。 今回の展覧会では、その本の多さと気軽に読める点を活かし、展示されている当時の雑誌を実際に読めるようになっています。
法案を可決する人
入り口横には、びっしりとサインとイラストの描かれたペン型のモニュメントが2つ。
このモニュメントには、50周年記念の「同窓会」で、歴代の作家さんが書いたサインとイラストがたくさん!
もうひとつは、会場でご確認ください。
記念すべき両誌の創刊第一号。
サンデーは言わずと知れた「ミスター」こと長嶋茂雄、マガジンは朝汐関が表紙でした。
天井まで届くサンデー・マガジンの壁」。
これだけでも圧倒されてしまいます。
背表紙からも懐かしい作品の姿がちらほら…
展覧会は、第一部・第二部で構成されています。 第一部のメインギャラリーでの展示は時代別のゾーンで大まかに構成されており、各時代ごとに作品や資料が分けられています。入り口から順路に沿って回ると、丁度サンデー・マガジンが歩んだ50年間を追体験できる、というわけです。
第一部のメインギャラリーに足を踏み入れると、まず目に入るのは巨大なマンガの「壁」!
天井まで届く大きな本棚に、ぎっしりとサンデー・マガジン本誌が詰め込まれています。その数は実に2000冊以上!普段はミュージアム地下の資料室内でガラス張りの書庫に入っているものも出されているのだそうです。これでも50年分の雑誌は入りきらなかったといいますから、これだけで50年という時間の凄さが伝わってきます。
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会場は大まかに年代ごとにゾーンが区切られていて、数に多少のばらつきはありますが、当時の雑誌や人気・代表作の作品原画、関連資料が併せて展示されています。
普段、私たちがマンガや小説などを見るときは作品ごとに楽しむわけですが、その作品を同じ年代毎や時系列順に並べて一緒に見てみると、当時の時代背景や流行傾向、そして共通点などを感じることができます。
例えば、常にスポーツものはどの時代を見ても見受けられます。熱血ものはもちろん、ラブコメ的であったり、ギャグ要素が強かったりとその方向性や表現方法に違いはあるものの、扱われているテーマはどの年代にも何かしら似たようなものが存在しているのです。それについては、「味付けは多少違っていたとしても、共通の要素はずっと受け継がれるものです」と表さん。その共通の要素こそが、この展覧会のタイトルにもなっている「DNA」の意味でもあるとか。
実際、最近では昔連載されていた作品を、別のキャラクターの視点など切り口を替えてリメイクした作品が人気を集めたりもしているといいます。
展示室には各時代の雑誌資料や玩具や付録などの関連グッズがずらり!
見ているだけで時代が感じられます。
原画展示(一部は複製・プリントアウト)は2誌を合わせた100作品分が前・後期で展示。修正の跡など、印刷後ではわからないものも見られるのは原画ならでは。
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ある意味、マンガは読者と一番身近にあるメディアのひとつ。どんなに年月が経っても、少年マンガ誌はいつも子供たちを初めとした多くの読者の傍らに寄り添ってきたんですね。その読者の声や社会的なニーズを取り入れて反映していくのがマンガの特徴なら、少年マンガ誌はその各時代の人々の映し鏡になっていたということでしょうか。
表さんは、「創刊当初の頃は、週刊誌としての試行錯誤の時期だったんです」と、仰っていました。 月刊誌はそれまでもありましたが、週刊マンガ雑誌というのは初めての試み。そのため、表紙も作品のイラストだったり、スポーツ選手の写真や絵だったり、と一貫されていません。
また、当時は生まれたばかりの雑誌の看板役を求め、既に月刊誌でキャリアがあり、名が知られていた手塚治虫や藤子不二雄といった有名作家の争奪戦が繰り広げられていたそうです。
70年代の少年サンデー。 公害問題を扱ったため、表紙はなんとガスマスク姿の人々。一見マンガ雑誌とは思えません。
60~70年代頃になると時事を反映したようなものも見られます。巻頭グラビアを彩るのは大阪の万国博覧会や宇宙開発などなど…中には表紙が少年マンガ雑誌とは思えないような、まるでニュース雑誌のようなものもあります。
「この頃は、読者の年齢層が上がっていたため、それに合わせて子供向けに囚われない内容も扱うようになっていたんです。そのため、恋愛や政治など、大人向けの内容や社会性も取り入れたハードな内容も増えていきました」と表さん。
丁度この頃主な読者層となっていたのは「団塊の世代」。しかし、それは大人になって社会的なことに目をむけるようになっても、傍らに少年マンガ誌があった、それほど少年マンガ誌が身近な存在となっていたということでもあるのでしょう。『大学生が政治を語りながらマンガ雑誌を読んでいる』光景を大学教授が嘆いていた、なんてこともあったそうです。
まるでアート雑誌のような表紙も!
今の姿からは想像もつきません…。こんな時代もあったんですね。
80年代以降になっていくと、その反動からかいわゆる「ラブコメ」など、割と軽めのライトな話が増えていきます。 特に90年代に近くなると、それにも作家それぞれの個性や味付けが生まれ、学校生活など、読者が感情移入しやすい現実的な要素を絡めたり、複数のジャンルを織り交ぜた作品が生まれていきます。
その後、スポーツものはJリーグの発足の影響などもあってサッカーが増えたりなど扱うものに変化はあるものの、現代までずっと続く人気ジャンルとなっています。また、このころには料理マンガで読者が作品に出てくるレシピを真似する、といったように、マンガと現実のリンクが感じられるものも多くなっていきました。
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